2011年11月03日

ニューオリンズ・リバイバル その4(Bunk Johnson)

サッチモこと、ルイ・アームストロングは言います。
「バンクの演奏する葬送行進曲はとにかく素晴らしいものだった」と。

キング・オリバーや他の演奏者がサッチモに与えた影響ももちろん無視することはできないのですが、バンクの話を信じるなら、サッチモにトランペットを初めて指導したのはバンクであり、影響が深かったとしてもおかしくはありません。
サッチモとバンクの演奏を聴き比べると、全然違うものでありながらリズム的には接点があるような印象を受けます。ビル・ラッセルも、サッチモがバンクを真似て吹いた時、「ルイ自身の初期のスタイルにそっくりだった」という感想を持っています。

バンク・ジョンソンは当時のスタープレイヤーの中の一人でした。
Buddy BoldenやFreddie Keppard、Joe Oliverのような"King"にはなれませんでしたが、それにとても近い位置にいたというのが、ニューオリンズのミュージシャンによるほぼ共通した見解でした。

彼の若かりし頃の業績はとても華々しいものです。
トランペットを吹けるようになった後、バンクはバディ・ボールデンのバンドの第二トランペットとなりました。バディ・ボールデンと言えば当時のニューオリンズではトップのミュージシャンであり、早くしてそのバンドに加入できたことは彼の才能を証明するものかもしれません。
もちろん、その後もニューオリンズの様々なミュージシャンと共演し、トップクラスの人とはほとんど共演しているのではないかと思われます。

演奏に関しては多くのミュージシャンが絶賛するところのものでした。
同じトランペット奏者のMutt Careyはこのように言っています。
「バンクは決してケパードやオリバーのようなドライブマンではなかった。彼は力に任せて吹きまくるというタイプの演奏はしなかったが、音楽に合わせ、どこで何を吹くべきかしっかりと知っていた。」
冒頭でサッチモが褒めている通り、葬送行進曲やブルースの演奏も非常に優れており、多くのミュージシャンから賞賛されています。また、楽譜を読むこともでき、音楽的知識にも長けており、古い曲も多く知っているという真摯なミュージシャンでした。感覚においても知識においてもすばらしいミュージシャンだったのです。


また、音楽だけでなく、性格もかなり個性的な人物だったそうです。
ごく初期のジャズにおいては個性的な性格のミュージシャンが多いような印象がありますが、バンク・ジョンソンはその極めつけと言ってもよいでしょう。彼が喋ることの多くは彼自身の語りであり、他の人には真似のできないものでした。音楽のことでもそうでないことでも、彼は常に独特の哲学を持っており、それに基づいて物事を判断し、行動していました。
また、音楽に対する熱意は本物なのですが、大酒飲みでそのためにトラブルを起こし、好きなときに好きなことをやり、嫉妬深く協調性があまりないという厄介な面も多く持っていました。彼ほど音楽への造詣が深く、冷静に見えるミュージシャンがそうした面を持っているというのは不思議なものですが、後に彼のこうした性格がトラブルを引き起こすことになります。


バンク・ジョンソンはとても優れたプレイヤーでしたが、音楽をやめる転機となるできごとが起こります。1931年のことです。
Evan Thomasというトランペット奏者のバンドで、第二トランペットとしての立場でツアーに出ている時でした。他のメンバーには、クラリネットにGeorge Lewis、ドラムにAbbey "Chinee" Fosterなどの名手がいました。
イヴァン・トーマスも優れたトランペット奏者として知られており、特に楽器の技術に関してはバンクにも負けないほどの評判を得ていました。

ツアー中、レインというルイジアナの街で事件が起きました。
演奏をしている最中に、バンドのリーダーであるイヴァン・トーマスが殺害されたのです。動機は女性がらみのことで、トーマスは恐らく冤罪だったと思われるのですが、自分の女に手を出されたと思ったジョン・ギロリーという男がトーマスにナイフを刺し、なんとバンドの演奏中に殺害したのです。
イヴァンはクラリネットを吹いていたジョージルイスに助けを求めたため、ジョージの服は血だらけになり、全員がパニックに陥りました。殺人犯はイヴァントーマスを刺した後、一度建物から出るとピストルを持ってまた入って来て、クラリネット以外の楽器を全て壊してしまいました。

この悲惨な事件の後、バンクはイヴァン抜きでバンドを組んでツアーを続けようとしましたが、とてもそれができる状況ではありませんでした。メンバーもとてもそんな気持ちではありませんでしたし、踊りに来る客もいませんでした。

自然にバンドは解散し、バンクは故郷のニューイベリアに戻って、ひっそりと暮らしました。
それからトランペットを吹くことはほとんどなく、色々な薄給の仕事をこなすことで何とか生活を続けていたのです。

殺人事件の犯人であるジョン・ギロリーには終身刑が言い渡されましたが、彼は脱走し、レインで警官を刺して射殺されることになります。


そのできごとが風化するくらい長い時間が経った頃、バンク・ジョンソンの元に一通の手紙が届きます。ビル・ラッセルからのものでした。
その後のバンクとラッセルとの間の何通かの往復書簡は、歴史的なミュージシャンの存在を証明するものとして、Jazzmenに掲載されることになります。

バンクはボロボロになった歯を元に戻し、楽器を調達してくれれば自分は昔のように淀みなく吹くことができる、と強気の言葉をラッセルに宛てます。そして、後に彼は、確かに淀みない演奏によって、自らのその言葉を証明することになるのです。

かつて街を熱狂させたことのあるトランペット奏者がカムバックするという、ジャズ史上でも例の少ないことがまさに行われようとしていました。


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posted by ニューオリ at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ニューオリンズジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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