2011年11月03日

ニューオリンズ・リバイバル その3(Bill Russellとバンク)

風邪を引いてしまい、寝込んでいて更新が滞ってしまいました。まだ完治とは行きませんが、ブログの更新はしたいと思います。休んでいた分も取り返せれば良いのですが……。

さて、前回は1940年代のジャズの動きをざっと眺めたところだったと思います。
ディキシーランドリバイバルについても少し言及しましたが、40年代のディキシーランドリバイバルというのは、これから書くニューオリンズリバイバルと密接に関わっている、というよりニューオリンズリバイバルが起こってからはほぼ同化して進んでいくことになる現象です。何十年かの周期で昔のものがリバイバルヒットするような現象というだけでなく、様々な要因から起こったものであったと言えます。

前回までとても長い前置きをしましたが、今日からようやくニューオリンズ・リバイバルの始まりについて触れることができると思います。


1940年代に入る一歩手前の1939年に『Jazzmen』というジャズに関する本が出版されました。
今や読んだことのある人はほとんどいないと思われますが、当時の著作の中では熱心に研究されたもので、貴重な資料として後世のジャズ評論や著作に大きな影響を与えたとされています。進行しているジャズだけでなく、初期のジャズについても触れており、前述のディキシーランドリバイバルにも影響を与えました。
Jazzmenはジャズに関する本としてはもちろん初めてのものではありませんでしたが、中心となって本をまとめたFred Ramseyの、「もっと興味深いジャズの本があってもいい」と言う熱意から、それまでにない生のジャズを捉えた著作としてできあがったと言えます。

多くの共著者がそれぞれ文章を受け持っていたのですが、その中でニューオリンズの音楽とルイ・アームストロングを含む3つの章を受け持っていた人物こそ、後にニューオリンズ・リバイバルのきっかけとなるのでした。
彼の名前はWilliam Russell(Bill Russell)と言いました。

ビル・ラッセルは一介のジャズファンでしたが、その人生は少し不思議な経路をたどってジャズへとたどり着きます。
10歳からバイオリンを始め、その10代と20代をバイオリンを含めた音楽への傾倒に費やしました。彼が当時行っていたのはいわゆるクラシックでしたが、早い内から教育を考えていたのか、音楽教師の資格を取り、またやがては音楽教育の学位も取得することになります。
また、作曲においてはパーカッションによる楽曲を作り、当時の業界の中で(瞬間的にではありましたが)最先端の作曲家となります。あのジョン・ケージを含む多くの人々が彼の作曲に影響を受けたようですが、作曲は彼の人生の中では中途で終わってしまうこととなります。それほどジャズが彼を深く捉えたのです。

元々西洋的な音楽よりもラテンや東洋の音楽に興味を持っていたビル・ラッセルは、ジャズの持つプリミティブな魅力に心打たれます。レコードの収集を始めるとともに、初期のジャズにおける立役者たちを探し出し、演奏を生で見ることに喜びを感じました。ニューオリンズで過ごした誕生日を、「人生で最もすばらしい誕生日」と表現し、どんどんジャズの深みにはまっていきます。

ラッセルは当時ジャズ評論家としてそこまで名前が売れていたわけではありませんが、その熱意や、クラシックの作曲家という肩書きから、Jazzmenの著者の中の一人として加えられることになったのです。

本を書くにあたり、初期のニューオリンズ・ジャズについて、ニューオリンズ出身のミュージシャンに取材を続けていたラッセルは、多くのミュージシャンから共通して同じことを言われることに気づきました。一番初めにそれを指摘したのは、ドラマーのZutty Singletonです。
「昔のニューオリンズの話が聞きたいなら、『Bunk(バンク)』という男に聞くんだ」

ビル・ラッセルほど熱心な研究家でも、バンクという男のことは聞いたことがありませんでした。バンクはどうやらトランペット奏者で、当時は素晴らしいプレイヤーだったということまではわかりました。ピアニストのClarence Williamsは、わざわざラッセル宛てに手紙を出し、「Bunk Campbellは忘れてはいけないすばらしいプレイヤーである」という旨の主張をしました。Sidney Bechetも、Lee Collinsも、Richard M Jonesも、みな口を揃えてバンクに聞け、と言います。

そこまで言われては、ビル・ラッセルも引き下がれません。バンクを探して会わなければ、という思いに囚われます。しかし、残念ながら居場所もわからなければ、名字も人によって言うことがまちまちという有様です。情報化社会である現代とは違い、当時は情報の持つ意味がもっとずっと重かったことがわかりますね。

ラッセルは、サッチモことLouis Armstrongに「バンク」について聞いてみることにしました。
もちろん、サッチモはバンクのことを知っていました。のみならず、バンクはサッチモにトランペットを教え、強い影響を与えた偉大なミュージシャンでもあったのです。

「彼の名字についてわかるかい」とラッセルが聞くと、
「みんなは何と言った?」とサッチモは聞きます。
「Campell、Johnson、Robinsonなどバラバラさ」とラッセルが言うと、
「ジョンソンだ」とサッチモは言います。男の名前はBunk Johnsonと言いました。

バンク・ジョンソンとの出会いとその歴史的な「再発見」はその後のビル・ラッセルの人生を変えることになります。歴史を変えることはできませんが、もしもバンク・ジョンソンを見つけることがなければ、彼の人生とニューオリンズジャズの歴史は大きく違ったものとなっていたでしょう。

ニューオリンズ・リバイバルの最初の一歩はこの瞬間から始まっていました。


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posted by ニューオリ at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | ニューオリンズジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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